試験湛水中の八ッ場ダムに行きました
ダム好き、ダムマニアだけでなく一般人の関心も高い八ッ場ダム...
(重要)画像が表示されなくなったので一部内容を変更してこちらに移行しました。
さて...。(2台のカメラで撮影したから写真の順番がぐちゃぐちゃになってブログ書くのが面倒だったけど、書くか)
少々長いと思いますが、お付き合いください。
八ッ場ダムの存在を知ったのは、2017年の10月15日。建設中のダムを調べている時に見つけて、その時からずっと行ってみたかった。(その時に設楽ダムの存在も知った)
と言っても、当時免許がなかった私は電車でも使わない限り八ッ場ダムには行けなかったので、行くのは諦めていた。
...そして、2019年10月1日。Twitterでダム関係の人をフォローしていたので、リツイートでとあるツイートが回ってきた。
仮排水路閉塞ゲートの枠に記念の幕が取り付けられました!#八ッ場ダム試験湛水 pic.twitter.com/JOzyyMnopm
— 萩原雅紀@相互フォロー9% (@damsite) September 30, 2019
ダムに1度水を貯めると、堆砂などの影響で2度と元の状態(町)には戻らない事は知っていた。あの時と違い今はバイクに乗れるし、八ッ場ダムに行くことにした。
10月12、13、14日は東北でとあるイベントがあるので無理。その前の週の5、6はシェルパ君が家に居ないので無理。あるのは無保険のジェベル。という訳で10月19、20日に行くことした。
ネットで満水になる時期を調べたところ、数か月はかかるらしかったし、19、20で確定。
...のはずだった。
10月7、8、9日が訳あって休みだった。7日、家でゴロゴロしている時に、ふと思った。
「八ッ場ダム行けるんじゃね...?」
...ああ、モードに入ってしまった。
赤石ダムに行った時も前日の夜に急に思いついた。1度思いつくとワクワクして行かないという選択肢が見えなくなってしまう。
でも台風が近づいていて雨も降るだろうし、どうせ行くなら早めにという理由を付けて、準備に取り掛かる。
今思えば、この判断は正しかった。
前の休日でタイヤ交換をしたり、ホムセン箱を付け(てもらっ)たりしておいてよかった。バイクを保険に入れたり寝袋、銀マット等持ち物を準備する。
詳しくはここに書けないけど、準備が色々大変だった。
準備を終えた自分は既にモードに入っているため、次の日の朝早く出れば良いのにわざわざ雨が降っている中14時54分に出発する。
そういえば、このジェベルでツーリングに行くのは初めてだ。(試走はした)
国道151号を北上中、三遠南信道鳳来峡IC付近で「ゲリラ豪雨かっ!」と思うくらい雨が強くなってきた。 以前、大井川沿いでカッパ無しでゲリラ豪雨級の雨の中を走ったので、雨の中走ることにはだいぶ耐性がある。
数年前のゴミカッパ()を着ていたら、だいぶ中に染みてきた...というか、びしょ濡れだった。着ないよりは着てた方がマシ、というレベル。
びしょ濡れで震えながら、茶臼山付近で野宿。
雨の中テントを張るのが大変。テントを張り終え、下着まで濡れているので裸になる。
流石に寒かったので濡れた服を着て、テントを出てバイクまで替えの服を取りに行く。
流石に地獄だし、風邪ひきそうだし、濡れた状態であと2日も走るのは絶望的なので、1度帰宅する事を決意。
雨の中せっかく張ったテントを、雨の中撤収する。
帰宅した後、ジャケットと新品のカッパを買いに行く。
父が20年くらい前から使っているであろうボロボロジャケットを着て走っていたが、濡れてしまったしそろそろ自分のジャケットが欲しくなっていたので、ジャケットは防水のを買うことにした。
暖かい風呂に入り、テントを外で干す。
あぁ、やっぱり家はいいなぁ。 まったく、バイク乗り(自分)はバカだよ。
翌朝、3時に家を出発する。御関所橋、旧遅沢橋、大津ダム、旧長栄橋に行った後、ぎりぎりダムの影響で川の水位が上がるであろう場所付近にバイクを止めた。
そこからダム付け替え道路のバイパスの橋が見えた。
バイクを止めたのはこの橋を見るため。ではなく...
発電所の導水路のアーチ橋を見るためです!
橋から下を見ると、随分下に川が見えた。
このアーチ橋、発電所の竣功が昭和4年なので、同時期に造られたと思われる。
手前から水路のアーチ橋、鉄道のトラス橋、道路の斜張橋。
異なる役目、異なる形式の橋が並んでいるのを見られたのは、少し嬉しい。
少し移動して、バイパスの旧道を行けるところまで進んでみる。
2つのアーチ橋が見えてきた。左側は吾妻線の付け替え線。右側は付け替え道路。
左側のアーチ橋、珍しいデザインだ。確か田中賞か何かに受賞していたような気がするけど...。
発車しようとした時に、石碑が目に入った。
やっぱり受賞していたみたい。
少し進むと、通行止めになっていた。仕方ないので八ッ場ダムに向かう。
国道145号を通り、不動大橋を渡って八ッ場ダム右岸に行く...、行こうとしたらいつの間にか長いトンネルに入ってダムの下流まで来ていた。
また長いトンネルを通り、やんば見放台にやってきた。
平日だからか、老人...おじさんおばさんばかりいた。
坂を上るのが大変そうだった。
坂を上ると、途中で八ッ場ダムが見えた。
ついに、ついに来たんだ...
試験湛水が始まって一週間ほどしか経ってないのに、だいぶ水位が上がっていた。
(この辺から写真の順番が分からなくなるぞ...)
上の広場に着くと工事の説明パネルがあったけど、工事設備はほとんど撤去されていて残っていなかった。
見放台の先端部分。(モザイクかけたほうがよかったかな)
少し列になっていたけど、すぐに登ることができた。
ん~、思っていたより溜まってる...
旧国道145号の橋と、吾妻線の鉄橋。国道の橋は綺麗なアーチ橋だったんだけどなぁ。名前も分からない。
帰宅後に調べてみると、八ッ場大橋という名前らしい。
http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-1339.html
上流を見ると、遠くまで見渡すことができた。
若干曇っているけど、雨じゃなくて良かった。
α sweet digitalでズーム。(設定ミスって白っぽくなってます(-_-;)
この橋は八ッ場大橋という名前みたいです。あれ?...。
バンジージャンプ。貯水始めちゃうとできなくなりそうだけど、どうなるんだろう。
橋の下側を見ると、吾妻線、旧国道145号の橋、国道の新橋が見えた。
八ッ場見放台を下りると、顔はめパネルが置いてあった。
なんでそこに顔をはめるんだ...
八ッ場大橋に来ました。
鳥の糞が付いてますよ...。
この道も沈むんだろうなぁ。
下流左側を見ると、代替地を支えている(?)巨大な砂防ダムのようなコンクリートが見えた。
広い...。
橋を横から覗き込んでみた。
高い...けど、下から見てみたかった。
コニカミノルタで撮影。
ダムの左岸に八ッ場見放台が見えた。
あんな所にあったんだね。
八ッ場大橋から上流を望む。
付け替え道路。仮設橋みたい。
遠くには不動大橋と丸岩が見えた。
下には三本の橋。
吾妻線鉄橋の橋脚。
そして旧国道145号の橋。
この橋は[千歳新橋]という名前らしいです。
昭和8年(1933)架橋。
廃線と廃道。
不動大橋、右岸に来ました。
下流側です。
八ッ場大橋と八ッ場ダム。
パネルがありました。うーん、今の景色からは想像できないなぁ。
徳山ダムに行った時ダムに沈む前の写真を見ましたが、私が見た現実はそこにダム湖があるという事だけなんですよね。「ここに村がありました」と写真を見せられても、「そうだったんだ、ふぅーん」みたいになってしまう。
今回はダムに沈む前の景色を見た。次に来た時に湖になっていたとしても、沈む前の景色を見たので湖面に沈む前の景色を重ねられるんですね。って、まだ湖はないですけど。 ...(なんか意味不明な文になった気がする)
橋から下流左側を見ると、3本の橋が見えた。
沈まないダム付け替え道路、国道145号
沈む旧国道145号と吾妻線。
橋と川沿いの道とトンネル。すべて沈みます。
不動大橋から上流を望む。
吾妻線のトンネルと旧国道。
土砂(砂利?)が積まれています。
吾妻線のプレートガーター橋。
左側の橋は欄干が外されていた。
丸岩大橋。
不動大橋の名前の由来になった不動滝。
スーツを着たグループがドローンを飛ばしていました。
ジェベルには銀マット、テント、寝袋を積んでいたので野宿する気満々でしたが、風邪気味だったのと思ったより早く家に到着できそうなので、帰宅することにしました。
軽井沢を通り、富士川沿いを南下してきて国道1号を使って無事に帰宅。
その4日後の10月12日、とあるイベントに参加中、宿でテレビとスマホを見ていると台風19号のニュースが目に入った。
東日本(関東)を中心に川が氾濫しそうだったり、すでにしていたり、ダムが緊急放流する事を発表したり、酷い状況だった。
翌日の朝、八ッ場ダム工事事務所が公開している定点カメラの画像を見てみた。
自分が訪れた僅か5日後にダムが満水になるなんて、思ってもいなかった。
最初に予定していた 19、20日に行っていたとしたら、既に満水になっていてダムに沈む前の景色を見られなかったわけか...。
試験湛水中に台風19号が来て、一晩で景色が変わる量の水を貯めた八ッ場ダム。
Twitterでは試験湛水が本番って凄い、とか洪水を防いでくれた、とか様々な人が絶賛の声を上げ、盛り上がっていた。
メディアでも八ッ場ダムを絶賛していたりしていたが、批判的な意見を取り上げているものもあった。
私はダムが好きだった。発電、治水、利水で人々の役に立ちながら、自分から強く主張しない堂々とした姿、大きさ。正に縁の下の力持ち。
一般人よりダムに関する知識がある程度で、たまにダムに行くくらいのにわかダム好きだった私に、初めてダムの「負」の面について教えてくれたのは八ッ場ダムだった。
ダムの堂々とした姿に惚れ、それを見ることを目的にダムに訪れていた時にはダム湖に家、集落、村、町が沈んでいる事について深く考えたことがなかった。
あの徳山ダムに訪れたときには、「ここに村があったんだなぁ」と意識して見ていたが、やっぱり、実感が湧かなかった。
八ッ場ダムはダム湖ができる前の景色とダム湖ができた後の景色を、(写真ではあるが)両方見られた初めてのダム。残念ながら"町"が生きている時には来れなかったが、それでも"ダムがそこにあった"ではなく、"ダムが造られ、町が沈んだ"ということを実感できた。
今、私が言いたいこと。
お疲れ様でした