【寒狭川】旧、小松橋(仮)跡の橋脚
国道からよく目立つ、川にポツンと立っている橋脚。
(重要)画像が表示されなくなったので一部内容を変更してこちらに移行しました。
34.981306,137.540255
まずは周辺図を。
タイトルには入れませんでしたが、実質、「国道257号旧道」です。
ただ、ほかの「国道257号旧道」と同じく「旧、国道257号」ではないのでご注意を。
2020 2/15
長楽橋跡を見た後、国道257号を北上してきました。
すると、目的の橋脚が見えてきます。
ここを通る"同業者"なら大体の人が気づくはずです。それほど目立ちます。
橋脚の横まで来ました。
見ての通り、石造りのしっかりとした橋脚です。
上流側は水の抵抗を減らすために船首のように三角形に尖がらせてありますが、他の橋で見た物より大きいような気がします。
対岸には橋台が残っているようです。
例の絵葉書の橋が寒狭橋ではなくこの橋(脚)かと思っていましたが、川の形から見てやっぱり寒狭橋の写真のようです。
いつ頃に造られた橋か分かりませんが、旧寒狭橋と同じように木造のトラスだったんですかね。
木を留めるための物なのか金具が残っていますし。
対岸の橋台に行きます。
と言っても川は渡れるほど浅くないので、途中にあるこの橋ができる前に使われていた橋がありそうな場所、つまり"旧々橋跡"と、"小松橋"を見てから"旧々橋対岸"に行き県道で南下し、切通しから分岐して発電所付近まで行き、対岸の橋台に向かう予定です。(ややこしいな)
旧々橋跡を見終え、切通しまで(バイクで)走ってきました。
旧々橋付近の道から見た切通し。
見事に割れてます。
切通し手前の左側の道を進みます。
幅は...体感だとだいぶ狭いです。
細い道を進んでいると、橋が2本並んでいました。
旧橋ですね。
橋台は...石垣。
こういった小さな旧道も良いですね~。
走っている時に、怪しげな場所を見つけました。
沢の上流側から見てみると...
ビンゴ!
橋だ。
上部はコンクリートのアーチですね。
下側からも見てみます。
斜面を下ります。
おお!
かっこいい!
木に掴まりながらゆっくり見てみます。
良いですね~。
土嚢で一部補修したようですね。
もっと近づいて見たいですが、ブーツなのでこれ以上近づくのは無理と判断。
登山靴に履き替えて近づいて見ます。
斜面を登ってバイクまで戻ろうとしていると、クラクションを短く鳴らしながら一台の車が近づいてきました。
こんな道を車が通るなんて思ってもいなく、バイクを車が邪魔になる位置に止めていたので急いで斜面を登り、動かします。
先に発電所があるので管理会社の車かと思いましたが、車には何も書かれていなかったので猟師か釣り人?
登山靴に履き替えました。
さっき降りた場所と違う場所から降りてみます。
写真だと分かりにくい(分からない)ですが、踏み跡があるように見えます。
同業者か、電力会社の職員か。(近くに電力会社の杭があったので。)
降りました。
中を見ると、やっぱり下部は石、上部はコンクリートです。
一応フラッシュ撮影。
中を通って奥まで行こうかと思いましたが、何も得るものはなさそうなのでやめておきます。
道を進み、発電所まで来ました。
これが布里発電所ですか。
古そうな看板。
上を見てみると...
あれは煉瓦!?
赤じゃなくてオレンジ色なのね。
水圧鉄管。
発電所の横を進み、建物の奥に看板がありましたが...
読めません(^-^;
上に登る坂があったので行ってみます。
チェーンがありますが...どこにも立ち入り禁止とは書いてありませんね。
係員以外立入禁止。
やっぱり、ここまでは来て良かったんですね()
写真左側の扉の奥に人がいて、電力会社の職員かと思って(立ち入り禁止ではないのに)身構えましたが...釣り人のようです。
知人に良く釣れると言われ来たらしいですが...全く釣れないらしいです。
昨日の雨で全部流されたとか、全部釣られちゃったとか、ダマされた~なんて言ってました。
それにしても、どうやって向こう側に行ったんですかね。扉の上には有刺鉄線があるので、奥から来たんでしょうけど。
バイクの所まで戻り、道の先が行けるか徒歩で確認してみましたが、
行けそうなのでバイクに乗って進んでみます。
しばらく進んだところで道の雰囲気が変わったので、Uターンできなくなる前におとなしくバイクを降り、歩いて進みます。
簡易基地。
着替え完了!
(汗が...)
細い道を進みます。
まるで森林鉄道の廃線のような雰囲気です。
中部電力の標がありました。
管理されているから道が綺麗なんでしょうね。
つまり、廃道ではないと...。
川が見えてきました。
おお!
ついに橋脚が見えてきました。橋の前は広くなってますね。
橋台に続く石垣。
そして...
橋脚!!
普段は国道側からしか見られない橋脚をこちら側から見るというのは、何だか感慨深い...。
右岸の橋台と、橋脚。
橋台右側(下流側)から下に降りてみます。
あ~立派な橋台。
上部には金具。
これほどしっかり造られた橋台なら、桁もしっかりした立派な物だったのでしょうか。
川側がピラスターのようになっているのは装飾なのか構造に必要な物なのか...。
あー(草が)嫌だ。
ふと気になってカメラのホワイトバランスをオートから太陽光にかえてみたんですが...
何ですか、これ、急に見た目と同じように写るようになりました。
今まで色がおかしいと思っていたのはこれの所為だったのね......。
このカメラ(SONY RX100M3)の欠点、「ズーム域が狭い」「森、緑が綺麗に写らない」のうちのひとつが解消されました。
うん、緑が綺麗に写る...( ;∀;)
橋台が不思議な形をしていたので、"実は吊り橋で主塔が立っていた"ということもなくはない...?
と思いましたが、橋台から山側を見てもアンカーレッジが見当たらないので吊り橋説はないですね。
そういえば、銘板も何もないですね。
あるとは思っていませんでしたが。
この石垣の部分は橋台というよりは擁壁に近い役割をしているので、それほどきっちり積まれていないんですかね。
それに対して桁を支える"橋台"の部分はきっちり積まれ、固定されています。
さて、もうそろそろお別れですね。
さようなら~(T_T)
さて。
これだけ立派な橋台の橋なのだから、何かしら(橋名だけでも)記録に残っているだろうと思い、大正15年出版の南設楽郡誌を見ていると...
"本群内の著名の橋梁は左の通りである。"とあり、その左には
"新城橋 辨天橋 牛淵橋 大野橋 ..."と、この辺りの橋の名前が並んでいた。
そして、一番左側に
南設楽郡誌 p.401より引用
"小松橋"とあった。
小松橋というとこの橋の跡の上流に架かる橋だが...。
詳しい位置は書かれていないので長さと幅でどの橋か確認するしかない。
全長は"一八六、〇"、橋幅は"一一、〇"。どうやら単位は"尺"らしい。
㍍に直すと長さ56.3m、幅3.3mとなった。
よく考えたら、大正15年の本に昭和5年竣功の小松橋が載っている訳がなく...。
と、いうことは?
Google マップで距離を計測してみると...
約56m。
念の為上流に架かる小松橋の長さも測ってみたが、そちらは約75mと明らかに長かった。
もしかしたら旧々橋がその小松橋かも?と考えたが、あの橋脚じゃ幅3mはあり得ない。
つまり...
小松橋下流にある橋脚の残る橋跡に架かっていた橋の名前は
小松橋だった
ということですね。
旧、小松橋の名前は"小松橋"だったと。
普通ですね(笑