【天竜船明】ヒクサカ峠の素掘り隧道
昔も今も、忘れられることなく静かに佇む峠の隧道...。
2018年12月。
船明付近の古い地形図と現在の地形図を見比べ、旧道を探していた。
すると現在の地形図には描かれていないものが描かれていた...。
「こんなところに!!隧道がっ!!!」
かなり興奮した。今まで(父と)何度か通った国道152号付近の山に、隧道があるなんて...。
上の地形図は大正7年測量の地形図と、現在の地形図。
大正7年の地形図には川沿いの道が描かれていない。そして山には隧道が描かれている。
ふむふむ。確かに川沿いを通るより山を一直線に超えたほうが大変かもしれないが、早く移動できるはずだ。
隧道の名前が無いといろいろと不便なので、勝手に船明ふなぎら隧道と名付けた。
船明にある隧道。直球だね~(;´・ω・)
隧道があるということは知ったので、何か情報がないかと浜松市史や天竜市史を読んだ。
しかし隧道についての記述は無かった。だが隧道がある場所の地名(峠の名前?)が書かれている画像は載っていた。
天竜市史 上巻 p.62より引用
船明から北に延びている破線に"ヒクサカ"と書かれている。
つまり"ヒクサカ"は峠の名前か地名ということだ。
よって隧道は"船明隧道"ではなく、"ヒクサカ峠の隧道"と呼ぶことにした。
それから月日は流れ遠州廃ものねだりさんが探索したレポートを見つけ、(後の楽しみを失わない程度に)一通り目を通したりしたが、私にとっては難易度が高いように感じた。
そして、ずっと後回しにして現在に至る......。
2020 3/7
[現在地] (赤い線は予定ルート。本来の旧道のルートとは若干異なります)
池の横からこんにちは。
現在時刻は2時13分。日没するまでには帰りたいところ。
バイクを止めて出発します。
ちなみにリアボックスの上に若干写っていますが、自転車用のヘルメットを着用して探索します。
そしてこの風景に違和感(?)を覚えたそこのあなた、鋭い!
とりあえず進みます。
少し進むと...何か見えてきましたね。
そう、
未成、国鉄佐久間線です!
この隧道より南には短い距離ですが、築堤が残っています。先ほどの"違和感"の正体ですね。
もう少しトンネルに近づいてみたいですが、日没までに戻りたいので隧道優先で。
戻ってきて時間があったら見に来ます。
トンネル横の緩やかな坂を進むとカーブがあり、そこから隧道に向かう道が伸びています。
階段のような坂道、坂道のような階段を上ります。
そして坂を上りきると、いきなり目の前に民家が!
地理院地図に描かれている道だから、通ってもいいはずだけど...。
民家の目の前の細い道を通り抜け、振り返って撮影。多分、私有地...
民家を過ぎると林の中を道が続きます。
この道が古道かどうかは分からないけど、道の雰囲気は仏坂を彷彿とさせる。
おっと!?
緩やかなカーブを進むとすぐに割掘が見えてきた。
どうやら小さな尾根を越える場所に掘られたようです。
この道が古道で間違いないようです。
割掘の側面の土砂が崩れ斜面がなだらかになっていますが、当時はもう少し切り立っていて深かったんですかね。
掘割を越えると道の向きが変わり陽の光が地面に当たらなくなるので、若干暗くなります。
道の横に生えている木にピンクテープが巻きつけてあり、何か書いてあります。
光光光光...。何でしょうねこれ。
H19、H21、H22...H30。平成でしょうね。平成30、ということは2年前か。
この道は森林を管理するのに使われているんでしょうね。つまり、廃道ではない(*'ω'*)
山肌に沿ってくねくねと道が続きます。
沢が見えてきました。
もしや、これは...
古道の洗い越し!?
いやはや、こんな所で見るとは...。
洗い越しの上流を見ると砂防ダムのような石積みがあります。
沢から山肌に沿って道を進んでいると、小さな尾根を越える2つ目の掘割がありました。
掘割の手前、右側には...まといリス。
実は初めて見ます。
振り返って掘割を見る。
1つ目の掘割と比べるとだいぶ小さいですね。
掘割を過ぎると2つ目の沢...が見えてきました。
1つ目の沢と比べると水量が少ないので洗い越しとは言えないですかね。
残念(´・ω・)
おっと...分岐が現れました。
危ない危ない、そのまま気づかずに進むところだった。
分岐の右、下側の道は倒木が多くて、
分岐の左、上側の道は倒木が無く、人が通った形跡もありそう。
予想外の分岐に戸惑いながらスマホで地形図を見てみた。
でも、破線はずっと1本だけ。分岐なんて描かれてない。
つまり、頼るのは「勘」。
「...ん?右側か?」そんな気がしてきた。
何故って、「廃」を求めてここまで来たんだから、木で道が塞がれて使われていなさそうな道を選ぶでしょ?......って、オブ神様の声が聞こえてきまして😁
それに、そっちの方が楽しそうだし...。
(分岐を左に進んで上に行って隧道が無かったら、その分の体力が無駄になる気がしたから、下の道を選んだなんて言えない...)
まぁ、分岐の先で道が合流しているというパターンもあったけど。
とりあえず右側の道を進むことにしよう。
分岐を右に進み、倒木ゾーンを越えました。
おお
カーブの内側に小規模な土留の石積みがありました。
小さいけれど、しっかりと与えられた役割を果たし続けてる。
分岐付近に倒木が沢山あったからその奥も倒木だらけかと思ったけど、多少草が生えているとは言え分岐手前の道と同じような雰囲気。
...前言撤回。
なんだよ!倒木だらけじゃないか!(T_T)
この辺りで地形図を確認してみます。
やったー!どうやら、こっちのルートで正解だったようです。
オブ神様、ありがとうございます🙏
倒木連続地帯を進みます。
ん?何だか奥が明るい気がするなぁ...
おっとぉ?崩落地だ。
すぐ目の前も少し崩れているけど、通るのに問題はない広さと勾配。
小さな崩落地を越えると次はメインの崩落地...。
あれ、思っていたより崩れてない。
「崩れている」というより、「荒れている」。
上の方まで崩れてます。
ん?
トラロープが見えます。
さっきの分岐を左に進むと、きっとあそこに行くんでしょうね。
ふと振り返る。
あ~、斜面を削って道を作ったこの感じ。(・∀・)イイ!!
難なく崩落地を越え、振り返る。
背面にある道の先がどうなっているかと言うと...
倒木。
あ~嫌だ。夏だったらもっと酷かったかも...。
まるで天然のトンネル。
おっ?
木を切断した形跡があります。
天然のトンネルではなく人為的なトンネルでした(^^;
こんなところまで人が来るんですね。林業者か、同業者か...。
倒木ゾーンを越えました。
「逃げた先にも...ハンター」ならぬ、「越えた先にも倒木」。
だいぶ谷の奥まで入ってきた気がしますが...地形図を確認してみます。
おお、もう近くに隧道が迫っている!
ということは...
あの辺りに隧道があるはず!
道はもう少し山側を通っているようだけど、谷側が平になってるからプチショートカット~
んん?
ああっ!隧道あった!
何か気配を感じると思ったら、こんなところにあった。
危ない危ない...「ショートカット~」なんてしてたら隧道を見逃すところだった(^^;
隧道手前で急に曲がって山に向かってます。
地形図を見てみる。
うん、間違いないね。
三脚で隧道と記念撮影(^^♪
ちゃんと自転車用のヘルメットを被ってますよ。
手で挑発しているようにも見えますが、木が邪魔だっただけです(^-^;
さて。懐中電灯も準備したし、中に入りますか...。
ヘルメットの下側にヘッドライトを付けましたが、暗いやつなのでハンディライトも使います。ヘッドライトはあくまで補助。
フラーッシュ!
コワイ......
入ってすぐ、丸太が並べられています。
木と木の間から見える暗闇に何かが身を潜めていそうで大変怖い。怖い...。
この木はいつ誰が並べたのか。流石に当時からあった訳じゃないだろうし。
丸太を越えると崩落地。
崩れた分だけ上にスペースが出来ているので、塞がってはいません。
隧道が閉塞しているか目安になる風は......無いように感じます。
振り返ると、外の明るさがまるで後光のようです。
背面にあるのは、暗闇。
本当は今すぐ隧道から出てしまいたい。けど、後悔はしたくない。
この隧道が貫通しているか、閉塞しているかはまだ分からない。
隧道が貫通していたとしても、すでにこれだけ崩れているのだからいつかは閉塞する。近年の自然災害を見ていると特に思う。
後悔したくない。だから、進む。
崩落地の瓦礫の山を越え、本来の路盤であろう場所まで降りてきました。
すると...
微かな光が見えた。
貫通していても風を感じないこともあるのね。
足元には大きな碍子と思われる物が複数落ちています。
(写真を見返して気づきましたが、碍子には"1957-10"と書かれているように見えます。1957年=昭和32年?)
碍子から隧道の先に目を移し、進み始めようとしたその時...!
恐れていた虫が見えてしまった...😨
ヴォェー🤮
(現地では出来るだけ直視しないようにしていたので「ヴォェー」とはならず...)
振り返り、フラーッシュ!
崩落地の様子が良く分かります。
ん?何か、隧道の暗闇に紛れて黒いものが...
ギ...
ギヤヤァァァァァァァァー!!!
み、見なかったことにしよう...。
さぁ!気を取り直して。
隧道の先を見ると、第2第3の崩落地...というより、全体的に崩れていてどこが本来の路盤なのかが分かりません。
ん?上に何か黒いものg....
ギィあぁ...
コウモリだぁ。起こしたらマズい。
恐る恐る懐中電灯で照らしてみる。飛んでいないコウモリは初めて見ました。
それにしても、綺麗に一列に並んでいるなぁ。
角度を変えてもう一枚。
まるで化け物。恐ろしい...。
もしかして、3匹の関係は親子だったりして。
一番右側の大きいの(手前だから?)がお父さんで、左端がお母さん。真ん中が子供?だとしたら、お母さんと子供の仲が良すぎる~(*´ω`)
そう考えると、このコウモリ達も可愛く思えるような、思えないような...。
コウモリ達が目を覚まさないことを祈りながら、恐る恐る横を静かに通り抜けます。
もうすぐで出口です。
振り返っても入口は見えない。まるで別世界に来たみたい。
天井の黒い点は全部コウモリです...。
足元に何かのケーブルが埋まっています。
すぐ近くにはまた丸太がありました。
そして、
出口です。
振り返ると微かに入口の光が見えます。
隧道の出口がとても狭い。
しゃがんで出られるほどの高さもないので、服が汚れることは気にせず這い出ます。
隧道に入ってから約6分。ついに、見慣れた"緑色"を見ることが出来ました。
はぁ~、外の空気がおいしい!
振り返ると坑口が見えます。
まるで隧道には見えないほど小さな坑口です。
おっと、
こんなところに石積みが。
ここから隧道まで石積みが続いていたんでしょうけど、今となっては土の下。
現在地を見てみても、ほぼぴったり。この隧道で間違いないです。
坑口の小ささが伝わらないような気がしたので、三脚を使って自分と隧道を撮ってみました。
どうでしょう、伝わりましたかね...。
古道はまだ続いていますが、今回の目的は隧道なのでここで引き返します。
日没も迫っていますし。
再び隧道の中に入ります。
帰りは動画を撮りながら通り抜けます。
嗚呼、眩しい。
さようなら、ヒクサカ峠の素掘り隧道。また逢う日まで。
掘割まで戻ってきました。
また民家の前を通ります...。
下の方に佐久間線の隧道が見えます。
民家の前を通らずに来ることもできそうですね。
民家の前を通り、坂を下っていると船明の町並みが遠くまで見えます。
来るときは後ろ側だったので気づきませんでしたが、なんだか「おかえり」と言われているように感じてしまいます。
坂を下り、佐久間線のトンネルの前まで来ました。
日没まで余裕あるので見て帰りましょう。
近くで見ると大きいです。
残念ながら立入禁止。
どうやら気象庁の設備があるようですね。生まれ持った役目を果たすことが出来なくても、こうして活用されているのが良いですよね。
ドアに少し隙間があるので覗いてみます。
ほう...緑色の覆いがあるので奥までは見えませんね。
手前には資材があります。
坑門の左側には何かのアンテナ?があります。
トンネル手前の擁壁には「1970-12」と彫られています。1970年竣功なんでしょうね。
坑門右側に銘板を見つけました。
船明トンネル
竣功は昭和46年、1971年ですね。
佐久間線のトンネルも見られたことですし、バイクのところに戻って帰りますか。
前から50・60代くらいのおじさんが歩いてきました。
(もう少し年齢が上の人だったら隧道のことを知っているかもしれないけど、この人はしらなさそうだな...)
「こんにちはー」とあいさつをすると、「カメラなんか首下げて、どこ行ってきたの?」と、会話が始まりました。
「上のトンネルの方~...」と返答。するとおじさん、なんと隧道の事を知っていたのです!
(会話内容を忘れないように急いで録音。以下音声を抜粋、一部改変)
「~行者山っていって、祠とかあって、お祀りしてあるんだけどね、行く道中昔はよく通って、峠には茶店もあったらしい。まだ、歩いていく時代はねぇ。」
「昭和...戦争済んでからもずーっと行ってたらしいよね。」
......
「そこの家の前を通っていったでしょ?あれは正式な道じゃないらしいね。もうちょっとこっちの稜線を通って...」
「それ行こうとしたらね、行けなかったんで(笑」
「昔僕らの子供の頃はあそこ登っちゃあ子供らの遊び場になってたもんでねぇこの山もね」
そして最後に「いい趣味してるね。」「コロナ関係ないもんねこういう山入ったら(笑」
「いい趣味してるね」なんて言われちゃった。いやぁ、会話するつもりはなかったけど、挨拶ひとつでいい話が聞けました。挨拶、大事ですね。
隧道じゃなくて峠の道の方でしょうけど、戦後も通っていたようですね。
そして山が子供の遊び場になっていたと。当然、隧道の中でも遊んだんでしょうね。子供はああいうの大好きだから(笑) 私も好きだったし。
ヒクサカ峠の素掘り隧道が現役だった頃を知る人はどんどん減っていき、もしかしたら今はもういないのかもしれない。
幸いこの地区の人は隧道の存在を知っていたが、他の山奥に眠る隧道は現役時代を知る人が居なくなり、存在すら忘れられてしまったものも沢山あるだろう。
そういった、隧道に限らず色々なものを写真に収め後世に伝えていくことが、私(達)の役割なのかもしれない。
それこそが、「いい趣味」なのだろう...。