国道257号旧道 寒狭橋と旧寒狭橋跡

寒狭川(豊川)に架かる橋と、旧橋の橋脚の一部が遺る場所。

 

(重要)画像が表示されなくなったので一部内容を変更してこちらに移行しました。

 

34.951957, 137.547397

2020 2/15

[周辺図]

南側の新旧分岐地点に来ました。

よくあるこのスペース、好きです。

現道は寒狭峡大橋という名前の通り大きな橋で川を渡っているようです。

 

旧道を進んできました。

奥に目的の橋が見えます。

手前の構造物は日本三大美堰堤の内のひとつ、「新城のナイアガラ」だとか、「奥三河のナイアガラ」と謳われている長篠堰堤ですが...

どこがナイアガラですか???

と、いじめるのはやめましょうか(笑

どうやら堰堤の修理をしているようで、「ナイアガラ」越流は見られないようです。

ただ、そのおかげで普段は設置されていないレールが見られます。

しかも、よく畑や山で見るレールが1本のタイプではなく、資材運搬用のレールです。

お疲れ様です~。

堰堤の横を通る旧道、国道時代の無理やりセンターラインを引いていた跡が残っています。

 

堰堤から500mほど進み、橋に近づいてきました。

昔の橋によくある穴の開いていた橋脚ですね。

塞がれているようですが(;´・ω・)

 

橋の手前にバイクを止めました。

手前1径間はカーブの内側が広がっていますが、当時からではなく改修されたのでしょう。

左側の親柱。

デザインが古めかしくて良き。

銘板。

かんさはし

「ばし」と濁っていないですね。

中央から。

さっきから交通量が多いです。どうやら抜け道になっているようです。

橋の上を車が通るたびに鈍い音が響きます。

橋門構...という名称のようです。(調べました)

橋門構の奥に並んでいるのは...支材という名前?

以前五月橋で出会った"先生"が居てくれれば...。

上流側。

この川は豊川とも寒狭川とも呼ばれる川です。

私は寒狭川と呼んでいますが、これが浜松から遠いところにあったとしたら、豊川と呼んでいたかもしれません。

下流側。

このトラスは中央下側から外側の上部に向かって斜材が伸びているから、プラットトラスかな?

渡った先にも欄干と古そうな親柱があります。

ただ、銘板が無いので竣功時期が分かりません。

 

土木学会が公開している橋梁史年表で調べてみると、どうやら1930年、昭和5年竣功のようです。

(と、思っていましたが、新城市の橋梁個別施設計画には1964年=昭和39年竣功とありました)

ん~錆び具合が丁度いい。

穴を埋めた橋脚。

あ、

あの石積みは旧橋の橋脚跡では?(*‘ω‘ *)

想定外のご褒美だ~。

旧道ある所に旧道あり、橋ある所に旧橋あり...。

古い地形図を見るとこの辺りには橋が架かっていなかったようで、舟で渡っていたようです。

橋の少し下流には川に降りる怪しい道がありまして...

あれが当時使われていた道かどうかは分かりませんが、もしそうだとしたらロマンがありますよね~。

実は今、手元に古い写真があるのですが

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土木図書館デジタルアーカイブス 戦前土木絵葉書ライブラリから引用

寒狭川上流には橋脚が残っていて、ずっとこの写真はその橋の物だと思っていたのですが、よく見たら「寒狭橋」と書かれてますね...。

だとすると、さっきの橋脚跡はこの橋の物なのかもしれません。

(現地に居た私は写真の橋がこの橋の旧橋なのかまだ疑問に思っていますが)

右岸に戻ってきました。

道路から川に降り、橋脚跡を見に行きます。

昨日に降った雨で草木が濡れていて嫌な感じ。

旧橋の橋脚が残っているなんて想定外だったので、ブーツで来てしまいました。

右岸1径間に銘板が付いていました。

1983年。カーブの内側が広がっていたし、後から架けたんでしょうね。

穴埋め橋脚。

橋台。

雨が当たらないので「もし家がなくなったらここでホームレス生活でもするか」なんて思ったりもしましたが、よく考えたら下が平らじゃないので生活しにくいですね(^^;)

橋脚跡に着きました。

上流側の水の抵抗を減らすように三角形になっていますね。

対岸の橋脚跡も探してみましたが、

草が凄くて何も見えません。

橋の下を通り、上流側から橋を見てみます。

現橋右岸橋脚下部。

崩れないか心配になります。

自分の足跡。

砂の斜面を進みます。

うん、かっこいい。

実を言うと例の写真が未だに旧橋のものだと思えないので、同じようなアングルから相違点を探そうと思ったのですが...よく分かりません。

そりゃあそうですよね。橋梁史年表で旧橋について調べると明治41年頃とあり、昭和5年頃に写真が撮られたとしても90年近く昔の写真ですもんね。

(この後、写真に写っていた橋の橋脚だと勘違いしていた橋脚を見に行きましたが、写真と川の流れが違うので、写真の橋はここ、旧寒狭橋で間違いないようです...)

 

昭和5年に架けられた寒狭橋と、明治に架けられた旧寒狭橋の跡、でした。

 

 

 

戻るときに橋の上流側の斜面を登ったのですが、こっちから降りれば良かった(^^;)